愛を受け取るために


「本音」を伝えてみて


気持ちもどん底で、愛に飢えてて

「こんなわたしも愛してほしい」

と、伝えた。




シェアハウスメンバーの何人かが


「愛してなかったら今頃追い出してるよ」 「愛してないなんて言ったことない」

って言ってもらえた。




伝えた場はシェアハウスではなかったから全員の意見を聞いたわけじゃないけど。


でも十分嬉しかった。




箱舟のメンバーにもたくさんの愛の言葉をもらって、
浮上報告をFacebookでもしたらそこでもたくさんの愛の言葉をもらった。

浮上報告



たくさんの人に愛されているとわかったら、今までのモヤモヤが霧が晴れたようにスッキリなくなった。


モヤモヤうじうじしていた期間、
謎にお腹にガスが溜まっていたり、舌が何日もヒリヒリしてたけどそれらも解消された。
どっちもストレスが原因だったみたい。
(ストレスで舌がヒリヒリしたのは初めてだったからビックリした)




どっちもは難しいね


前日のシェア会のときに、


「内省が苦手。内省できるようになりたい」


と伝えた。


“変化”を求めている



でも


「メンヘラなわたしでも愛してほしい」


“変化”しない自分を受け容れたい、受け容れて欲しい気持ちもある




変化したい気持ちと変化したくない気持ち両方があるんだ。




シェア会の話も、その後の話を聞いてくれたシェアハウスの家族に「どっちもは難しいね」って言われた。



たしかに・・・!!




客観的に物事を見ていて、かつわたしの癖を知っている人からの言葉。

そのあと自分がどう答えたか覚えていないんだけど、どっちもできたらいいな。



強欲♡




愛を受け取るために


「こんなわたしでも愛してほしい」
というシェアをして、箱舟メンバーがこんなフィードバックをくれた。



・愛されないと思う理由はなんだろうね ・愛を受け取れない理由はなんだろうね ・次は愛を与えられる側に回りなさい

そして
・自分のことをもっと大好きにならないよね ・追い求められる色気を身に着けなさい


自分なりにね、考えてみた。



愛されないと思う理由


とにかく自分に自信がないから「わたしなんて」と息を吐くように思ってしまう


カメラに料理、工作に子守りといろいろなことができるけど100点満点にできることはない。
どれも60~90点。


勉強も運動も中の上。



小中学校の頃の周りの友達は勉強のできる子ばかりだから


「あんたの友達はみんなあたま良いのになんであんたは・・・」


みたいにお母さんに言われて100点じゃないと認められなかった。



お母さんにあまり褒めてもらえない →ダメな子 →愛されない
という方程式が完成した。




高校時代は部活動一筋だったんだけど、同期女子の顔面偏差値が高いこと高いこと・・・


中学校時代は勉強ができるようにならねばって思ってたけど、
高校に入ってからは、勉強ができなくても「顔が可愛いとそれだけで愛される」と学んだ。
(これは愛されるではなくモテると表現することもできるが、わたしの中では愛されるとモテるは同義)


元々一重で細い目。
ずんぐりむっくりな身体つき。


こんなわたしじゃ誰からも愛されない。




今では調子が良いと二重になる。
身体つきは相変わらず。


努力、がんばることが苦手だっていうのもあるけど、本気でやれば変われるはず。
あ、本気も苦手だった。



結局変われないのは自分の中で


「これもわたしだよね」
「まぁいっか」


ってどこか納得と諦めがあるからかもしれない。


そりゃ、変われないか。




わたしにとって愛されるとは


・勉強(仕事)ができる ・可愛い容姿である
という価値観が強い



秀でているスキルや美しさがないと愛してもらえないと思っている。
(そんなことないって頭ではわかっていても心はついていかない)


愛を受け取れない理由


最近言われるのは


・笑っているだけでいいよ ・ご機嫌でいてくれたらいいよ

ってこと。



意味ワカラン




昔から“等価交換”で生きてきた。


何かをやって欲しければ、何かをやってあげる



無条件で何かをしてもらえるわけではない



ここでいう“何か”は


・スキル、仕事、労働的な何か ・お金、お金を使った何か

である。




忘れ物を持ってきて欲しければ、1週間風呂掃除をする。
迎えに来て欲しければ、手土産を用意する。


”されたければ“お返し”が必要だ




だから、何もせず、


ただ“笑顔でいる”“ご機嫌でいる”だけでは“愛”受け取るには対価が小さすぎると感じてしまってしまって・・・


お金も使わず、存在するだけでいいと言われているもん。
とってもとっても簡単なことなのにね。




わたしは


・影響力がある ・人にプラスの影響を与えられる人

だそうだ。


わたしが笑う、ご機嫌でいるだけで周りが明るくなるんだって。
だから、わたしが落ちてると周りもちょっと重たい空気になるんだとか。



そうなんだ。


なんだかすごいね・・!




愛に限らず、褒め言葉を受け取るのも苦手だからなかなか受け取れないこともあるんだけど、その度に周りが気付かせてくれるから有り難い。



自己肯定感が著しく低いから褒めてもらうと


・わたしごときがおこがましい ・申し訳ない

って息を吐くように思ってしまうのよね。



ある人が言っていたけど、


・人の良いところは見つけられるのに自分の良いところには疎い ・自覚が薄い


って。


ふふ、そうね。




もっと素直に愛や褒め言葉を受け取れるようになりたいな^^


▶ゆりっぺが書いてくれた筆文字(表面)


愛を与えられる側になりなさい


急だけど、自慢させてください。

わたしの周りには素敵な大人がたくさんいます。



ここで言う素敵っていうのは


・慈愛に満ちている ・仕事がすごくできる ・考え方が尊敬できる ・ギブの精神が強い ・いつも温かく見守って、フォローしてくれる ・困ったときには手を差し伸べてくれる

などなど。



自分にはないスキルや考え、愛情に満ちている人がたくさんいるんだ。
そんな人たちといると、いろんな見方ができるから気付きがたくさんあるし、前に進む勇気と力をもらえる。




わたしはいつももらってばっかりで何を還すことができるだろうか?
わたしがわたしみたいな悩んでいる人に何かできているだろうか?
って考えるときがある。



大学生の頃から同級生や後輩と過ごすよりも自分よりも年上の大人に混じって過ごしてきたから、自分よりもステージの低いであろう人と接触する機会って少ないな~と思うんだよね。
(失礼な表現になってしまったけど、見下したいわけではないの)


わたしは人に相談するばっかりだから、自分があまり人に何かを(おこがましいけど)諭したり、導いたりすることってないな~~~~







自分のコップにはたくさんの愛が注がれているのにどこか穴が開いていることが多い。


気付く前に穴からぽろぽろ零れてしまって気付かない愛もある。


でも、
人への愛はね、いつも自分の中で溢れている
(余裕がないと自分でもその愛が見えなくなってしまうけど)


愛のカタチは人それぞれ。



人とおしゃべりすること、人と関わることが大好きで、周りには大好きな人がたくさんいる。


わたしの愛は重たいけどいつも溢れている。
一方的にはなってしまうけど好き好きビームはすごいと思う。



自分のことを頼ってくれる、相談してくれる人はあまりいないけど、ちょっと重ための愛を放出しようと思う。



いつか、頼ってくれる、相談してくれる人がやってきたら全力でチカラになりたい。



相談内容は「愛」についてじゃないかもしれないけど。


わたしの周りの人が伝えてくれた視点や考えを自分の言葉で伝えられるようになりたいな^^




自分の引き出しを増やすだけじゃなくって、


自分のことをもっと愛せるようになろう




ついつい欠点とかネガティブなところに目が行ってしまうけど、ネガティブとポジティブは表裏一体。
両方の側面を見る意識をしていこう。
(とか言って3日後ぐらいにはわたしなんてーーーーとか言ってそうだけどねw)


3歩進んで2歩下がる。
ゆっくりですが進んでいきます。


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